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Referendum
イタリアでは6月12日、13日に国民投票(referendum)があります。
今回の国民投票は、非常に重要な国の今後を決定する問題が取り上げられ、イタリア中で様々なプロパガンダが繰り広げられています。
イタリアでは1946年、6月2日に行われた“イタリアが王国を継続するか、共和国になるか”を決定する国民投票を皮切りに、しょっちゅう(?)国民投票をしています。離婚を法的に認めるか、中絶を認めるか、等も国民投票で決定されました。

今回は4つの問題についての国民投票が行われます。
既に国法として組み込まれている4っつの法を国法から取り除くかどうか…平たく言えば以下の4点が今回の争点です。
その内2つは、現在認められている水の民営管理を完全に公共管理下に置くかどうか。
3っつ目は国法で認められているイタリアでの原子力発電建設推進を取り除くかどうか。
そして4っつ目は、首相を始め、政府の要職に就いている者は、その在職中は罪に問われても、裁判を免れることができる(?!)、という法律を取り除くかどうか、というもの。

国は公有財産である、生物が生きていく上でかかせない、“水”の管理をあまりにもずさんに行っているので各地で、“安全な水”の危機がささやかれているのも事実です。
イタリアの公共施設による水の管理は、県によりますが、施設の老朽化、ずさんな水質検査、等あまり良い状態とは言えないのです。
ベルルスコーニ政権では、水を民営化することを推進すれば、投資も進み、レベルの高い水質管理が可能になる、と言うのですが、そうそう、簡単にいくものではありません。

この国では残念ながら“民営化”は“私有化”を意味する場合がほとんどで、実際民営化にシフトされたとしても、レベルの高い水質管理は望み薄なのが現状です。実際に一部の県では、既に水が民営化されているのですが、破格な水道水の値上がりに比例しない劣悪な水質管理状態、などあまりいい話しは聞こえてきません。

生きていくのに必要不可欠な水は、国民誰もが、安心して使用できるのが当然の権利。国はそれを国民に保証しなくてはいけません。利益を求める対象外であるべきです。勿論、民営化してうまくいく場合もあるのでしょうが、今のイタリアの“政治ゲーム”に見られるモラルの低さを見ている限りでは、“水は国民誰もが平等に安心して手に入れられる権利がある”と言う状態を法律的に認めておいた方が、今のイタリアではいいのではないかな、と私は思います。国が国民に示すべき責任を、安易に民営団体に丸投げするより、きちんと水の管理に投資する姿勢を見せて貰いたい、と思います。

水は大切なエネルギー資源です。今は石油を巡り戦争が起きますが、近い将来、水を巡って戦争が起きる時代が来るのではないか‥…とも懸念されます。
大切な資源をみんなで大切に共有していく、という意識を育てていくのも大事なことではないでしょうか。

フェッラーラの政治グループ“ジェンテ ディ シニストラ”もナポリ大学からアルベルト・ルカレッリ氏を招いてドゥオーモ広場で「水は平等にみんなのものである」というテーマで講演を行いました。
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                 アルベルト・ルカレッリ氏

そして原子力発電所建設に関する問題。丁度、イタリアでこのテーマについての国民投票が行われると発表された時期に日本での今回の悲劇が起こりました。
ドイツはすぐに将来的に原子力発電を全て停止することを宣言しました。それにひきかえ、イタリアは、“我々は最新の機器を建設するから問題ない”と言い放ったのでした‥…。
イタリアは現在自国でのエネルギー生産に加え、フランス等の近隣諸国から電力を購入しています。確かに年々増す消費エネルギー問題、石油問題も深刻化する中、新エネルギーの開発問題は、必須課題です。
イタリアは20年前に既に原子力発電所はイタリア国内に建設しない、と、やはり国民投票で決めたにも関わらず、ここに来て、ベルルスコーニ政権は、また国のプロジェクトに組み込むことを考えているのです。そこには国益を求める、というよりは利益を求める政治、経済ゲームが色濃く見られます。

イタリアが20年前に決定した国民投票の結果を反映して、近年、原子力に替わる危険のない新エネルギーの開発に力を注いで来たか、と言ったら否、です。
しかし、この国は日本と同じ、地震多発地帯でもあります。先のアークイラで起こった地震も脳裏にあるうちに、福島の状況を目の前にしながら、なぜ、新エネルギーの開発に力を注ぐようにシフトしないのか、省エネルギー対策をしないのか、と歯がゆく思います。
本当に、未だ人間の力では完全にコントロールのできない原子力に私達はどうしても頼らなければ生きていけないのでしょうか?
この問題は私達の世代のみの問題ではありません、何世代も何世代も後の人類にも影響する大問題です。
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          みんなが安心して生きていける地球であってもらいたい。

増加する人口、消費社会の拡大、発展する科学‥…私達がたどっている道のりには何が待っているのでしょう?現代の快適な生活、とはいったいなんなのだろう?好きな物が24時間買えること?暑い時にはいつでも冷蔵庫のようにクーラーを効かせること?街が24時間明るいこと?そのために高い代金と危険を払い“便利”を買うことが我々の“進化”、“幸せ”なのでしょうか?
科学の発展を、ルーティーンに陥った消費社会から切り離して考えることも、今までとは違う形の経済拡大を探ることも、大きなエネルギー問題につながるのでは?私自身もじっくりと取り組んでいきたい問題です。

そして、4つ目の問題。これがベルルスコーニ首相の最大の感心事なのですが、“首相をはじめ、政府の要職に就いている者は、その在職中は罪に問われても、裁判を免れることができる”事を認めるかどうか‥‥。

なぜ、国の要職に就いている者のみが、法に問われることをしてもその罪を逃れることができるのでしょうか?法は全ての国民にとって平等であるべきでしょう。
実際に、現在いくつもの裁判に追われているベルルスコーニ首相は、自分の身を守るためにこの法を是非にも国法として在職中に確定しておきたいのです…自分勝手にも程がある、というものです。
彼の辞書にはまるで“モラル”という言葉が無いようです。
緊急を要する他の国の重要問題をそっちのけで、この法を閣議に通すために画策している彼の様子は、本当にこの国は立憲国なのかと目を疑いました。

国民投票は有権者の投票率が50%+1投票に達しないとその効力が認められません。ベルルスコーニ首相は国民に「今回の国民投票は、実はもうしなくても大丈夫なのだよ。原子力発電問題は今回の国民投票から外すから。」的なことを自分の所有するメディア(国営テレビ、新聞)等を通じて臭わせ、有権者が国民投票に行く気を逸らそうとまでしました。
本当にあきれる行為です。

ぜひともイタリア国民が今回の国民投票の重要性を理解し、一人でも多くの人が国民投票に出かけることを祈るのみです!
by concordanze | 2011-06-05 21:23 | Vita quotidiana 生活

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